1997年8月に、スウェーデン南東に位置するエーランド島で、私の留学生活が始まりました。

留学先は「カペラゴーデン手工芸学校」。

カペラ玄関

入学までのいきさつについてはこちらからどうぞ。→過去のブログ記事「留学が決まった夏のこと」

 

やっとの思いで入学した憧れの学校でしたが、すべてがバラ色と言うわけには行きませんでした。

授業はすべてスウェーデン語で行われ、クラスメートや教官達は英語でフォローしてくれようとしたけれど、もともと英語も苦手な私にはチンプンカンプンのままでした。

夜に食事の後、みんなでワイワイ雑談している時にも、何もわからずポツンとすることも多かったのです。

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では、そんな私がその後4年間、どのようにスウェーデンで過ごしたかと言うと、1年間はカタコト英語、そして残りの3年間はスウェーデン語で過ごしました。

英語がある程度話せる人は、スウェーデンでもそこそこやっていけることは事実です。

カタコトの英語が出来れば、旅行で困ることはないと思います。

もともとスウェーデン語は英語とドイツ語が派生語なので、基本的に似ている所が多いのです。

ある程度の年代の人はそんなにしゃべれませんが、それでも国民の大半が英語を話すことを嫌がりません。

特に若い世代から今の50代、60代前半くらいの人は、かなり小さい頃から、幼稚園、学校で力を入れて英語の授業をしているので、流暢に話す人が多いです。

私の周りの日本人も「英語」だけで通したという人は多いので、留学などの長期滞在であれば、とにかく最低でも英語をある程度話せるようになっておくのが、生活も勉強も、すべてにおいてスムーズに運ばせるための条件だと思います。

しかし、私は、英語を話せないまま日本を発ってしまいました。

そして、生活に慣れる、授業についていくのに必死で、英語を勉強するという時間が残念ながらありませんでした。

さらに悪いことに、当時日本人の先輩学生もいたのですが、「スウェーデン人に生まれたかった。」が持論で、しかも本当に「自分はスウェーデン人になるのだ。」と言い聞かせているような変わった人で、「日本人なんて俺は嫌いだ!」という始末だったため、日本人の私は近くに寄ることすらできませんでした。

周囲の人が何を言っているのか、自分は何を言われているのか、スウェーデン語も英語もよくわからないまま、孤独と不安な日々が募りました。

それを解消してくれたのは、思いがけず日本から持ってきていた「日本の道具」たちでした。

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初めは遠くで眺めていたクラスメート達も、製作の時間になると、私の横に来て「かんな」やら「ノコギリ」やらをしげしげと見ては、「触って見ていいか?」「どう使うんだ?」と話しかけてきました。

実はこの「かんな」、「ノコギリ」こそ、スウェーデンのそれとは大きな違いがあります。

形の違いはもちろん、日本のものは自分の体に対して手前に引いて削ったり、切ったりするのに対し、スウェーデンのものは自分とは反対の方向に押し出して使うという、まったく別の動きをするのです。

日本の「かんな」「ノコギリ」は使い勝手がいいと評判になり、その後日本に研修旅行に来たときにはみんなこぞって日本製の「かんな」「ノコギリ」を買っていました。

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先の日本人の先輩は、同じように日本製の道具を持って来ていながら、どうしてか隠れて使っていたらしく、他の学生はみんな興味津々であったけれど、見せても、触らせてももらえないまま、遠くから眺めては悶々としていたようなのです。

それなのに、私は、「やってみなよ!」と道具を渡してニコニコしているので、「あの時は驚いた」と後で友人に教えてもらいました。

「お前が普通なのか?お前がスタンダードな日本人なのか?」と聞かれ、「イエス!」と答えましたが、先の先輩は日本人とは相当変わっている、というイメージを植え付けていたようで、それでみんな私とも距離を置いていたらしいことに気が付きました。

「がんばって、日本人はいい奴なんだ、って思ってもらおう。」心の中で密かにこんな決意を持ったのもこの時でした。

さて、「行けば言葉は何とかなるだろう」と思ってスウェーデンまで来て、そしてはじめのうちはこんな感じで何とかはなっていたのですが、ジェスチャーに頼ったり、周りの友人たちが簡単な英語で通訳してくれていても、そこにはおのずと限界がありました。

それで、留学の2年目、本気で語学を何とかしないと、という一大決心をし、スウェーデン語をマスターするべく語学学校にも通うことにしました。

スウェーデンには、移民を対象にした国営のスウェーデン語学校「コンブックス」があり、大きな町には必ずと言っていいほど設置されています。

実はスウェーデンは人口のおよそ10分の1が移民と言われています。

そのため、国としても積極的に移民を受け入れているという事情からこうしたスウェーデン語を教える学校の制度が整っているのです。

幸いにも通えるところにこのスウェーデン語学校があったため、カペラでの木工の授業とのかけもちで私も1年間通い続けました。

授業では、アルファベットの読み方に始まり、スウェーデン語での挨拶、簡単な会話、文法の使い分け、ボキャブラリーなど、日常で最低限必要な読み、書き、会話、のすべてが習得できるようなカリキュラムが組まれています。

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国からの補助金で成り立っているこのスウェーデン語学校では、授業料も無料、教科書も支給されるため、いろいろな国籍の人が通って来ていて、私のクラスには、ドイツ、ハンガリー、ロシア、ブルガリア、トルコ、中近東から来ている人などがいました。

お互い英語もしゃべれない者同士、最初はギクシャクしていたのですが、授業が進むうち、スウェーデン語でコミュニケーションを取れるようになり、一緒にコーヒーを飲んだり、雑談したりと、それはそれでとても楽しく、そしてちょっと不思議な経験でした。

スウェーデン語学校の授業は週に2~3日、朝8:00~昼12:00までの授業に、みっちりの宿題が出されました。

そして午後からはカペラに戻って木工の授業・・・。

二つの学校のかけもちという、忙しさに泣かされる毎日でしたが、言葉を覚えると、世界が広がってくるという実感が楽しく、それを糧にしてがんばりました。

アルファベットを母国語で使っている人たちは習得も早く、一緒に勉強していると焦ることもしばしばです。

唯一頼りにしていた日本から持参したスウェーデン語の辞典は、当時24,000円もかけて買ったものだったのに、スウェーデン人の友達に見せると、「ものすごい古い言葉が載っているね。」と言われてショックでした。

写真の一番右側がその辞典なのですが、スウェーデンに来るつい2年前に刊行されたそのスウェーデン語辞典は、立派な風格で、「使えない」ようには見えませんでした。(思いたくなんかありませんでした)

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「古い言葉だって、使えるんならいいじゃないか」と思っていた矢先、木の種類について調べることがあり、スウェーデン語の「楓(かえで)」とこの辞書で引いてみたら、この辞典では「ナナカマド」となっていて、まったく役に立たないことがわかって本当にがっかりしました。

仕方なく、写真真ん中の「スウェーデン語→英語」「英語→スウェーデン語」の2冊の辞書を新たに買い直し、それと、英和、和英の合わせて4冊の辞書を交互に駆使して、語学学校の宿題やら、教科書の意味を調べるなど、大変な労力を要し、日々スウェーデン語と向き合う生活が続きました。

けれどこうした苦労の甲斐あり、1年後にはスウェーデン語のラジオのニュースが理解できるようになり、さらにはDJの冗談に吹き出すことさえあり、それを見ていた友人たちが「信じられない」と大声で手を叩いて笑っていました。

こんなに苦労して身につけた私のスウェーデン語は、今の日本ではほとんど話す機会がないのが残念です。

それでも、たまにスウェーデン人の学生が研修に来たり、大使もいらっしゃったり、と久しぶりのスウェーデン語を使ってみると、「大丈夫だ、ちゃんとしゃべってるぞ!」と言われ、ホッと胸をなで下ろしています。

たまにちゃんと復習しないと、と思いますが、何より再びスウェーデンに行ってしゃべりたい、と言うのが本音です。

もちろん英語も勉強しないといけないんでしょうが、これはまだ重い腰のままでいるのです・・・。

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投稿者プロフィール

Akio Shimada
Akio Shimada
1971年生まれ。北海道苫小牧市出身。日本各地で木工修行の後、スウェーデンで北欧の木工技術を学び、2007年日本人として初めて「スウェーデン家具マイスター」の称号を得ました。高い技術を誇る木象嵌と家具の製作をしています。

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