前回に次いで、工房20年目の歩み、続編です。

24歳の春、私は岐阜や山梨などでの木工修行を終え、再び北海道へと戻ってきました。
石狩郡当別町にあるスウェーデン交流センターの木工房アシスタントとしての職に就くためでした。

久しぶりの北海道。アパートを借りたり、住民票を移したり、毎日が慌ただしくて、でも楽しい日々の始まりでもありました。

ここでは、主任研修員という立場の作家をアシストする仕事に就いたわけですが、いろいろ、いろいろ、モノづくりをする人にはあるあるの個性的な人が多いことで、私も初めての経験をたくさんしました。

何より、ここでの面白さは、スウェーデンから招聘される作家のアシスタント業務を務めることにありました。
スウェーデンの生きた木工の技術をつぶさに見る、知ることができる格好な機会でもあり、それは本当に興味深々の毎日であり、発見の日々でもありました。

残念なことに言葉の壁はありました。それゆえ100%の理解はできていなかったかもしれません。

けれど、一つ学んだことは、「モノづくり」に必要なのは情熱であって言葉ではない、ということでした。
作る、という一つの目的があれば、言葉の違いはあまり大きな問題ではなく、それよりむしろ互いに作ろうとするものをどれだけ同じ方向で見る視点を持っているかの方がずっと大事だったわけです。

ある年、アンディッシュ・オルソンさんがスウェーデンから招聘され、ご一家でここスウェーデンヒルズに1年間住むことになりました。
アンディッシュさんも英語は苦手。
私も英語は苦手。
でも、初対面で会った時からその温かい人柄がすぐ好きになりました。
木工をする人独特の分厚い手でしっかりと私の手を取って握りしめ、言葉が無くても「よろしく!よろしく!」という気持ちが伝わってきました。

アンディッシュさんが来日したときには、私は主任研修員となっており、他にアシスタントがいなかったこともあって二人三脚のものづくりがスタートしました。

2018年秋に来道したときの写真。現在も家族ぐるみでお付き合いが続いています。

アンディッシュさんが図面を描き、それを私が指導を受けながら作って行く、そんな流れでいくつも作品を作りました。

センター中庭で今も使われているナラ材のベンチ アンディッシュ氏デザイン。制作島田晶夫。

今も、交流センター中庭で、この時に作ったナラ材のベンチが使われています。
もう25年も経つのに、まだ使えていることが自分たちも信じられないほど頑丈なベンチです。
特に装飾を施しているベンチの上部は、固いナラの木をノミで削って作りました。
「若かったなー」と今更思いますが、丈夫なナラの木を力強くノミで削らないとならず、この歳ではもう無理かも、なんて思います。

でもそんな丁寧な作業を施したからこそ、この長い時間でも朽ちることがないのではと思います。
写真の通り、雪が降る季節を除いてセンターの中庭で今でも座ることができます。

大きな転機

アンディッシュさんとの出会いは、私に大きな転機をもたらしました。
ある日のこと、木工についていろいろな話をしていた時(手振り、身振り、時には辞書を使いながら英語と日本語を混ぜて会話していました)、アンディッシュさんが力強くこう言ったのです。

「君の探しているものが、スウェーデンのカペラゴーデン手工芸学校で見つかるかもしれない」と。

その言葉は私に突き刺さりました。
まだまだ技術を身につけたい、世界の一流のものづくりを学んでみたい。
そう心の奥底で願うことがあっても、実現の方法がわからないでいたのです。

今のようにインターネットがあるわけでもありません。
学校のこと、どうしたら受験できるのか、留学できるのか、日本からどうやって連絡をとったらいいのか。
当時は本当に分からないことだらけでした。

そうしているうちにアンディッシュさんの滞在期間が終了し、まだまだ教えて欲しいことがたくさんあったのですが、スウェーデンに帰国する日を迎えました。

スウェーデン エーランド島にある伝統校 カペラゴーデン手工芸学校

見送りで訪れた千歳空港で、アンディッシュさんが「スウェーデンで会えるのを待っているから」と言ってくれた時には、不安の中にも希望の方が大きくなっていました。

そして私の中で、「スウェーデンに留学したい!」という気持ちが膨らみ、居ても立ってもいられなくなったのです。

できない英語を何とか駆使して私は国際電話で学校に電話していました。
「どうしたら受験できるのか? 試験はいつなのか?」聞きたいことはたくさんありました。
でも、英語になるとのどまで出かかった言葉がうまく口から出ず、電話の会話は混迷を極めました。

私の英語も相当ひどかったと思います。そして学校の担当者も英語が苦手だったのだと思います。
しびれを切らした私は「自分の資料を持って、そっちに行く!」と電話の最後で言ってしまったのです。

言ってしまったのですから、行かないわけには行きません。
飛行機のチケットを取り、自分の作品の写真やらなにやら持てる物を詰め込んで、数週後にはスウェーデンに渡ってしまいました。

決して自分は行動的な方ではないと思います。
でも、ものすごい「力」を自分の中に感じていました。
「とにかく、行って、話をして、そしてカペラゴーデンで学ぶんだ!」
その一心でした。

スウェーデンの首都ストックホルムから、カペラゴーデン手工芸学校のあるエーランド島までは特急列車で5時間ほどかかります。

右も左もわからない日本人です。
スウェーデン語など全くわかりもしない私です。

そんな私を、たくさんの見ず知らずの人が助けてくれました。
特急の乗り方も、チケットの買い方も、みんな身振り手振りで本当に親切にしてくれました。
今でもそんな人たちの温かい笑顔がはっきりと脳裏によみがえります。
私の宝物の思い出の一つです。

さて、学校に着き、木工の担当の先生や校長、事務の担当者などに会ってもらうことができました。

この奇妙とも思える日本からの訪問者はどんな人間なのか?という品定めが行われたのだと思います。

ただ、ありがたいことに、ここでも言葉はあまり必要が無く、私の作品の写真を納めたポートフォリオ、実際に使っている道具のことなどを見てもらうことで、私の技術のレベル、そしてものづくりへの情熱は伝わったのではと思います。

この訪問が正式な試験として認められ、日本に戻ってから少し経った後に、私は「合格」の電話を受け取りました。

涙が出ました。
無我夢中だった数か月の努力は、スウェーデン留学という形で報われたのです。

スウェーデン交流センターでの職を辞し、留学の準備もそこそこに、私は学校がはじまる8月にスウェーデンに向かいました。
大きな期待と、同じくらい大きな不安の中、私の第二の節目が始まったのです。

次回は「スウェーデン編」として、留学時代の話を中心にしていきたいと思います。

お楽しみに!


投稿者プロフィール

Akio Shimada
Akio Shimada
1971年生まれ。北海道苫小牧市出身。日本各地で木工修行の後、スウェーデンで北欧の木工技術を学び、2007年日本人として初めて「スウェーデン家具マイスター」の称号を得ました。高い技術を誇る木象嵌と家具の製作をしています。

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