「35år」は、トレッティフェム・オールと読み、スウェーデン語で「35周年」を意味しています。
今年はスウェーデンと日本の外交関係樹立150周年という記念の一年です。
日本の各地でも、いろいろなイベントが催されていますが、私が工房を構えている、ここスウェーデンヒルズにある「一般財団法人スウェーデン交流センター」はさらに設立35周年を迎える年となり、この二つの記念すべき年を祝うため、今札幌芸術の森で大きな展示会を開催しています。

スウェーデン交流センターは、スウェーデンと日本の親交を深めるべく35年前に設立された財団法人です。
スウェーデンヒルズのほぼ中央部に位置してセンターの建物があり、ここで様々なスウェーデン人アーティストによる展示会が開催されたり、スウェーデンに関連する書籍も多数蔵書しています。

 

特にスウェーデン人の作家を長期にわたり招聘し、ガラス、木工、テキスタイルなど、実際にスウェーデンの技術を教える場を設ける、日本の材料を使って作品をデザイン、製作するなど、いろいろな「ものづくり」に関する交流事業を行ってきました。

そしてその交流35周年を一つの節目に、今まで交流のあった作家、アーティストの作品を一堂に会した作品展が催されることになりました。
スウェーデン人作家、アーティストの作品は、この展示会のためにはるばると飛行機に乗ってスウェーデンから来たものばかりです。

そして、私を含む日本人作家も、北欧の技術と日本の技術を融合した作品を今回展示しています。

私は木象嵌が全面に入ったキャビネットを出展しています。
デザインはスウェーデンを代表する木工家のカール・マルムステン、製作は日本人である私で、「架け橋」的な作品をという思いで出展しています。

先にも書いたように、交流センターでは主にガラス作家、木工作家を招聘し、実際にセンター内にある工房で作品の製作を行っていました。
(現在はアーティスト・イン・レジデンツ という形で継続中。)

ただ、言葉の問題もあり、材料の発注や、機械のメンテナンスなど、実際に工房で作業するには多くの課題がありました。
また技術を近くで学びたいという日本人作家がいること、そしてこの北欧の技術を学んでほしいというセンター側からの願いもあり、作家を補助する立場で日本人の若い作家たちがセンターの職員となってその製作を助けることになりました。
スウェーデン人作家はインストラクターとしてその製作活動と技術の指導、そして日本人の若手作家はアシスタントとしてお手伝い。
そんな二人三脚のものづくりが長期にわたって、これまでに行われてきたのです。

そして、私もその一人であったのですが、この時本当にいろいろな偶然が重なって、私はいろいろなスウェーデン人木工家と交流することになりました。
詳細は割愛しますが(またどこかのタイミングで書いてみたいと思っています)、私がアシスタントについた木工家はアンディッシュ・オルソンさんで、当時テキスタイルデザイナーのアンさん、そして当時小学校4年生と1年生になる娘さんと4人で来日していました。

アンディッシュさんが滞在したのは1995年4月~1996年4月までの約一年間でした。
当時アンディッシュさんは英語があまりお得意ではなく、そして私もスウェーデン語はもちろん、英語も本当に旅行会話程度だったので、そんな二人が小さな工房の中で果たして一緒にモノづくりなどできるのだろうか、と不安に思ったことを今でもよく覚えています。
(写真は今回夕食を共にした際のアンディッシュさんと奥様のアンさん)

でも、おもしろいことに、物を作ると言う事には、国境も言葉の違いもあまり意味が無い事に気がつかされます。
説明したいときには実際にやって見せる、そして何か聞きたいときには手ぶり、身振り、絵を描く、と言う事でほとんどわかりあえたからです。

当時アンディッシュさんがデザインして、私が製作したベンチは、今も交流センターの中庭でご覧になれます。
いかにもスウェーデン風の装飾を施されているこのベンチ、使っているのは北海道産のナラ材です。


若かりし私にはハードルの高い技術の連続で、かなり頑張って作りましたが、そんな一つ一つの経験を培い、今もその技術が私の中で生きているのは嬉しくもあり、懐かしくもあり、人の縁を感じることでもあります。

アンディッシュさんの勧めで、私はこの後スウェーデンの工芸学校「カペラゴーデン」に留学することを決意します。
アンディッシュさんの卒業した学校でもあり、奥様のアンさんもここでテキスタイルを勉強していた学校でもありました。

「そこに君の探しているものがある。」

このアンディッシュさんの一言がなければ、今の私はないかもしれません。
背中を押されるようにして、私は日本を飛び出しました。

そうしてスウェーデンに渡った私は、このカペラゴーデンで、恩師キャレ(キャレは愛称で、本名はカール・マグヌス・パーション)と出会い、木工の技術はもちろん、人生を生きていく上で様々な教えを受けることができました。
(写真は今回夕食を共にした際のキャレと奥様のレーナ)

人と、人がつないでくれた私の木工人生の道。

そして、日本に戻ってから日本人としては初めてとなる「スウェーデン家具マイスター」の称号をスウェーデンから得られたことは、本当にたくさんの方の支えがあったからこそだったのだと、今回改めて感謝の気持ちになりました。

交流センターが歩んだ35年の道のりの、おおよそ半分の時間ではありますが、私も日本とスウェーデンの架け橋として微力ながらも活動できていることに感謝しています。

さて、今回の作品展に併せて、交流センターの招待で、過去にインストラクターとして滞在した作家、アーティストが総勢20名以上来日しました。
スウェーデンから送った自分の作品を展示用に設置するためでもあり、またワークショップやデモンストレーション、そして他では聞けない「いま」のスウェーデンのモノづくりを語るアーティストトークなど、多彩なイベントを行いました。

芸術の森での搬入風景。

レセプションのパーティーの様子

キャレのワークショップの様子。満員の参加者に。

私も展示台の製作、自分の作品の設置、そしてワークショップのお手伝いなどをこなしていたので、この2週間は大忙しでした。

でも、私がアシスタントを務めたアンディッシュさん、アンさんご夫妻との久しぶりの再会、そして恩師のキャレ、レーナご夫妻、他にも去年アーティストインレジデンツで来日していたウルフさんご夫妻もいらして、なんだか数年分のスウェーデン交流を数日の間にしたような、まるでお祭りのような日々に毎日楽しく酔いしれました。

みんなそれぞれにスウェーデンに帰って行ってしまった後、今ふと寂しいような、でも、スウェーデンに帰るところがあるような、そんな嬉しいような温かい気持ちで、また「現実」の製作活動に打ち込んでいます。
年末まであと2ヶ月、厳しい現実だなー、と思いながら、それでもやはり木工が好きな事に我ながら可笑しい気持ちです。

投稿者プロフィール

Akio Shimada
Akio Shimada
1971年生まれ。北海道苫小牧市出身。日本各地で木工修行の後、スウェーデンで北欧の木工技術を学び、2007年日本人として初めて「スウェーデン家具マイスター」の称号を得ました。高い技術を誇る木象嵌と家具の製作をしています。

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