沖縄から荷物が一つ、工房に届きました。
中を開けてみると、見覚えのある象嵌細工の入った掛け時計です。
早速送り主であるS様に連絡を取ってみると、「引っ越しで、針をひっかけてしまっておかしくなってしまって!」とのこと。
この時計、名前を「Floral ~フローラル~」と言い、去年のフラノ寶亭留での展示会の折、S様が設計中の新居で使うのに、とご購入いただいたものでした。
ご注文頂いたのち、一度富良野から工房に持ち帰り、S様に送る前にメンテナンスをして再びお住まいでいらっしゃった愛知に向けて発送しました。
展示会などでご注文、ご購入頂いた象嵌は、直接お持ち帰りになったもの以外は、このように一度工房で状態を確認させていただき、軽くメンテナンスをしてから発送するようにしています。
象嵌自体が、展示会で状態が悪くなるということはあまりありませんが、それでも一度手を掛けたくなるのは、作品に私自身も愛着があるからだと思います。
どの象嵌作品もそうですが、構想からデザイン起こし、そして下絵に、象嵌作業に、と一つの作品を作り上げるのに結構な時間がかかります。その作品の一つ一つと向き合っているうちに、それぞれが自分の子供、というのでしょうか、自分の分身のように感じることがあります。
その子供たちが他の場所へ旅立つ前に、最後に一声かけるというか、おめかしをしてやるというか、何か手をかけてやりたくなって、できるだけ一度工房に持ち帰るようにしています。
今回の象嵌時計は、昨年愛知へ旅立ち、そしてS様と共に沖縄の仮住まいのスペースに同行し、またまた日本を縦断するようにここ北海道の当別へ一時帰国してきたのでした。
S様にお伺いすると、「沖縄で、近くの時計屋さんに持ち込んだのですが、どこも無理です、って修理してくれなくて。3軒も回ったんですけどね。それで困ってそちらに送ったんですけど、どうですか?」とのこと。
この象嵌時計は、時計の機械や仕組み自体は普通のものと全く変わりませんが、針も私がアルミを切り出して作っているため見た目は特殊だったのだと思います。
時計屋さんにとって、この針は代替できるものがないため(市販品ではありませんから)、何かあったら面倒だな、という思いでお断りされたのだろうと思います。
北から南へ、南から北へ、と、私ですら行ったことがない場所を転々と旅しているこの象嵌時計を見ていたら、なんだか可笑しくなってきて、「お前もたいしたもんだなー」と声をかけてしまいました。
修理というほど大げさなことではありませんでしたが、針を時計の器具本体へ固定し直し、少し曲がっていた針も元のように戻して完了です。
さて、偶然にも同じタイミングで、やはり象嵌を施した掛け時計が、「調子が悪いみたいで」と言う理由で工房に運ばれてきました。こちらの時計は札幌にお住いのK様のもので、5,6年は使って頂いていたでしょうか? 今回お引越しに合わせて、一度調子を見て欲しいとのことでお預かりしました。
こちらもメンテして、2つの時計を並べて動作確認することにしました。
下のK様の象嵌時計は、お客様のご要望で電波時計になっていました。
一日に2回、正しい時刻が電波になって送られてくるため、常に正確な時間を刻むという電波時計ですが、日本では福島と佐賀に電波の送信所があり、北海道は福島からの電波を受信しています。
これは実際に使ってみてわかったことですが、福島~北海道は距離がありすぎて、いくら電波と言えども北海道につく頃には電波自体が弱くなっているようなのです。
いろいろ調べ、時計の機械を作っている会社にも問い合わせましたが、これは仕方のないことのようで、「北海道で電波時計を使うのであれば、南向きの窓に面したところで使ってほしい」とのことでした。
K様は、以前にも「電波時計なのに時間が正確にならない」とおっしゃっていて、その際にも上記のようなことを調べてご説明したのですが、今回のお引越しでも掛ける場所は南向きではないとのことですので、思い切って時計を電波時計ではなく、一般的なものに変えるようにお勧めしました。
2つのタイプが異なる象嵌時計。でも、工房でこの二つを並べてメンテナンスをしていると、なんだか時計屋さんになったような気分で、象嵌の入った時計もいいよなーなんて改めて思いながら、曲がっている針を元にもどしたり、傷ができたところは軽くメンテして、と楽しく作業していたのでした。
メンテナンスを終えた後、運ばれている途中で機械に不具合が生じていないか、針はちゃんと動くのか、という動作の確認もあり、工房の壁に掛けた2つの象嵌時計は3日間ほどこのままここで時を刻んでゆきます。
これは取り替えた電波時計の機械。 私が作っている掛け時計は、このように機械の交換ができるので、長く長く使って頂けると思います。
一つ一つ時間をかけて象嵌している時計ですから、親から子へ、子から孫へ、と長く使ってもらいたいと思っています。
今は、「おじいさんの古時計」ではありませんが、大きな振り子時計のように「家族みんなの家」を象徴するものが少ないと思います。そんな時、いつも掛かっている見慣れた掛け時計は、心の中に家族の思い出と共に刻まれるものではないでしょうか?
象嵌の良いところは、そんな思い出を刻むのにふさわしい、そのご家庭の「雰囲気」を作り出すことができることだと思います。
それぞれ、好きな花や、動物、文字盤だけのシンプルなもの、数字へのこだわり、などご要望にお応えできるからです。
今回の文字盤だけのK様の時計は、お引越し先では家のリビングのメインの時計になるとおっしゃって下さりました。
ご家族が皆さまで見上げて時間を確認する。その毎日のご家族のご様子を共に見守らせてもらえるこの時計を、私は誇らしく思っています。
さて、再びS様の象嵌時計は沖縄へと向かって今日旅立ってゆきました。北海道からは4日から一週間ほどかかって沖縄に着くそうです。北海道からJR貨物便で本州を縦断し、鹿児島からは船に乗ってゆくそうですが、長い旅路、どうか無事にS様のお手元に無事届きますように、と象嵌時計のことばかり考える一週間になりそうです。
投稿者プロフィール
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1971年生まれ。北海道苫小牧市出身。日本各地で木工修行の後、スウェーデンで北欧の木工技術を学び、2007年日本人として初めて「スウェーデン家具マイスター」の称号を得ました。高い技術を誇る木象嵌と家具の製作をしています。
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